Judo in Toliary!!  初遠征!トリアリーへ

I went to Toliary to teach Judo from 27 Feb to 7 March.

Toliary is in the south-west region of Madagascar and faces the Mozambique channel. 


2月27日から3月7日までの10日間、マダガスカルの南西に位置するトリアリー(地元の人は旧名のチュリアールと呼んでいます)へ柔道を指導するために1人遠征してきました。

今回はラッキーなことに所属先から旅費が出て飛行機で行けました。
ちなみに車だと、うまくいって20時間くらいです。。。

There aren't many people like a capital city Antananarivo in this city.

I saw many churches and mosques on the streets.



この街はトリアリー州の州都ですが、首都アンタナナリボに比べれば中心街でも人は沢山いません。

街の規模が小さいせいか、教会やモスクが多く感じました。

Also there are few cars, but there are many pospos.


うれしいことに、首都タナのような車の渋滞がないです!

タクシーベのような街中を巡回しているミニバスもなく、人の移動はこのプスプスと呼ばれる自転車式人力車です。
一昔前までは自転車ではなく、本物の人力車だったそうです。

I met Ashik who is a judoka teacher and also director of two schools in here.

His school's name is "Capricorn school" because Toliary locates on the Tropic of Capricorn.

Also his judo club's name is C.C.S (CapriCorn School) judo club.

I like this name!

I started teaching judo from the first day.

His dojo is in his school, but it's too small. So judokas do judo outside.

I have never done judo outside. This was the first time in my life!!!

I was surprised seeing the tatamis, not mats. They are not new, but it's ok.





初日、午前中にトリアリーに到着すると、年末にタナで行われた大会でお会いしたアシック先生が迎えに来てくれ、午後4時からの練習に参加しました。

アシック先生はクラブの代表者でもあり、自分の学校を分校を含めて2つ経営されています。3つ目も模索中だそうです。

そして彼の学校と柔道クラブの名前が「カプリコーン」なので、てっきり山羊座産まれなのかな~なんて想像していました。

なにげなく辞書を開くと、なんと南回帰線!という意味があるではないですか!

そうなんです。

地図でマダガスカルを見てください!

このトリアリーは、ちょうど南回帰線上にあるのです。

まさか、南回帰線上にある都市で、生まれて初めて屋外に畳をひいて柔道をすることになるとは思いませんでした。

そして、もう一つのサプライズが、首都の大きなクラブでさえ道場にひいているのはマットなのに、このクラブには、たたみがあったのです!

決して新しくはないですが練習には十分です!

畳の下はコンクリート!?

はい!そうです!

受け身が楽しいですよ笑

We were caught in a squall at the end of the training, so we rushed into the cloister of the school.

Ashik is the middle of this picture.

He told me 
"This rain came at the first time in three or four months.You must bring this rain in Toliary."

Actually, the short rain came in other four days.




初日の稽古の最後、雲行きがあやしいな~っと思っていたやさきにスコールが来ました!

みんなで学校の回廊へ避難です。

写真の真ん中の方が今回大変お世話になったアシック先生。

彼曰く、ここ3、4ヶ月間全く雨が降らなかったそうで、僕が来て雨が振ったので、タナから雨を運んで来てくれたと喜んでいました。 

Some streets have poor drainage.

It's tricky to walk.


街中の水はけはあまりよくありません。

道を歩くのに難易度が高い箇所も!

Please look at us!!


それでも、子どもたちは元気です。

『おしゃれな私たちを撮って』とポーズです。

I ate every meals with Ashik' family in his house where locates in his shool's area.

His wife is a Indian, so she serves Indian food. I love all meals she cooked.

The Chai(indian tea) she made every mornig reminded me when I was traveling in India.

I often walked from my staying hotel to the school through some local roads.

Their houses are made of straw and trees.




今回の遠征では、宿泊は街中のホテルでしたが、毎回の食事はアシック先生の学校の敷地内にある彼の家で彼の家族と一緒でした。

彼の奥さんはインド人!
と、いうことで毎食インド料理を堪能!
インド料理は好きなのでラッキーでした。
そして、毎朝出てくるチャイ(インドのお茶)、最高でした!!!


宿泊していたホテルから学校までは約2km。

毎回、ローカルな道を探索しながら通ってました。

中心地から、数百メートルしか離れていなくても道路は未舗装になり、そこに暮らす人々は決して裕福な層ではありません。

彼らの家は家族が寝れるだけのスペースといったかんじで、わらと木で組んである家が多かったです。
きっと、簡単なつくりで風通しを良くしておかないと、室内が熱くなりすぎて大変なんだと想像できます。ちなみに毎日熱帯夜ってかんじです。


このローカルな道を歩いていると、たまに、プスプスに豚が丸ごと横たわっていたり、大きなエイを乗せている姿も見れます。そう、この街は港があるから魚は新鮮なのが手に入るし、とても美味しいです。


残念ながら、刺身では食べませんが・・・。

I headed to the school with looking forward to drinking good chai Monday morning. 

I got a surprise when I arrived at the school.

Ashik called me up to show me up in front of the more than 1,000 students.

They have a mornig assembly every Mondays.

Then I was given opportunity to introduce myself and answered their several questions.




月曜日の朝はさわやかで、チャイを楽しみにしながら学校に到着しました。

すると、毎週月曜の朝は全校朝礼をしているようで、校長先生でもあるアシック先生は早速、1000人以上の生徒の前で僕を紹介してくれました。

そして自己紹介をすると、質問タイム!
生徒だけではなく、先生からも質問の嵐!!!

朝一のサプライズありがとうございました。。。

この後のチャイが一層おいしく感じました笑

I had a experience to practice judo in this dark.


今回の遠征では、平日は学校が終わってからの練習なので、日がくれ、この暗闇の中での練習でした。

I taught Judo to them  in another club which is ASCO judo club in just two days.

This dojo belongs to a Catholic school, so they can practice judo on the good mats and inside.


2日間のみ、市内にあるもう一つの大きいクラブASCOに出向きました。

この柔道クラブの道場は、カトリック系の学校の敷地内なので畳ではなかったですが、立派な道場でした。

This picture is about the Capricorn judo club.



カプリコーンスクール柔道クラブの生徒と先生達との写真です。

とても練習熱心な彼らとの稽古も約1週間で終了でした。

大きな大会が近いということもあって、とても集中して練習していたと思います。

I was taken to the beach near Toliary because I heard there are beautiful beaches.


トリアリの北の方には奇麗なビーチが多いと聞いていたので、滞在最終日に連れて行ってもらいました。

This beach is very beautiful, but the sea is not special color than I expected.

So I decided to go far to catch the wind and find the beautiful water by this sailboat.


ビーチはとても奇麗だったんですが、シュノーケリングを楽しむほどの透明度が無かったので、この帆船でモザンビーク海峡に出航!することに決めました。


出航っと要っても、数キロ先の沖です。。。

We found the good place!!

I enjoyed swimming and snorkeling here. That is awesome!!!




あたりーーー!

このカラーの水を探していました!

魚はビックリするくらいはいませんでしたがスノーケリングを楽しませてもらいました。



最後に、今回の遠征でTV局の取材を受け全国放送されました。
5分より、ちょっと手前です。
https://www.youtube.com/watch?v=VCeqFlsUw78&ebc=ANyPxKq5jxgnfjMyBCdHl99QH0jhWKoLJgAxRSwzCn3YJe_j-ITnHIuhXJmZBlADMs9t8eY_xl1QUyc1vn9zHno3l86C1jPT0A




<<上の記事と被っている内容もありますが、今回の遠征で聞いたことや感じたことを以下にまとめました。>>

(1)トリアリー(チュリアール)の街について
 想像通りToliaraは蒸し暑かった。蚊が多く、室内では蚊取り線香は効果があったが、電気蚊取り器では死なない蚊もいた。
 町並みはカトリックの教会とイスラムのモスクが多く、それに属する学校も多い。車は少なくプスプスが多いので渋滞はない。タクシーはあるが、タクシーベのような市内を循環しているミニバスはないので、人々は移動手段にプスプスをよく使う。生きているエイや豚をそのままプスプスの足場に乗せて移動している人も目にした。
 市場には肉は豊富だが、野菜と果物はタナに比べて品数が劣る。スーパー内の野菜や果物も少なかった。米や乳製品、お菓子、飲み物等、中央高地や首都近郊で生産されている食品は若干割高だった。逆に海外から船で輸入されてきた食品は中央高地方面の都市より安いものもあった。
 観光客はぽつぽつと見かける程度である。おそらく郊外のビーチか国立公園に行くのであろう。海沿いには南国を思わせるレストラン、バー、ナイトクラブやホテルが並び、ダイビングショップ等も目に付いた。遊泳のためのビーチへ行くためには、北か南の方に40分以上車もしくは船で移動しなければならない。


(2)学校について
 Ashik先生はCapricorn schoolの校長先生でもある。そんな訳で、私は月曜日の朝に全校朝礼約1000人の生徒の前で挨拶をさせて頂いた。その際多くの質問を受けた中で、女子生徒から「結婚していますか?」の質問に対して、私の返答「独身です!」が一番盛り上がった。どこの国も同じネタで盛り上がるものだと感じた。
 学校の定期試験では、生徒の親が教科担当の先生に賄賂を払って事前に試験問題を教えるてもらうことがあるそうだ。校長先生は公平性を保ために、事前に担当教科の先生が作成した試験問題をチェックし問題を変えたり、過去の試験問題をミックスするなどの対策をしているようである。また、試験期間中は試験する教室が決められていてカンニング防止にも努めているようである。
 日中はとても暑いためシエスタ(長い昼休み)がある。Capricorn schoolの午前の授業は8時から12時、午後は3時から5時半だった。昼休みが3時間あるので生徒は皆帰宅してランチを取り、休憩してから午後の授業に臨む。午後の一番眠くなる時間帯が休憩なので理にかなっているのかもしれない。元気の良い生徒は2時過ぎから校庭でバスケットやサッカーをして遊んでいた。


(3)暮らしぶりについて
 街中でもシエスタをしている商店があった。通勤通学時には人が沢山動く。プスプスのドライバーを観察するとシエスタがあるおかげで、午前と午後に生徒の家と学校を往復している。つまり日に2度往復する分の収入が保障されている。生徒の親が子の通学の安全を案じて、ほとんどのドライバーは専属になっているようだ。
 農作物は乏しいが海産物は豊富だった。豊かな海がある街だけに観光や海産物等が収入源であることは間違いない。
 街の中心から10分も歩かないうちに舗装路から未舗装路(砂の道路)に変わる。そこに立ち並ぶ家々は、側面が木で覆われていて屋根は藁葺きである。決して豊かな暮らしぶりではなく、家も小さく、強い風が吹いたら簡単に吹き飛ばされないか心配になるくらいの簡単な作りである。側面が木に覆われていて中が覗けそうなくらいの隙間があるのは、少しでも風通しを良くするための知恵なのかもしれない。



(4)聞いたお話
 Ashik先生から聞いた話の中で、興味がある話があった。近年、マダガスカル人の心の中に変化があるという内容の話だ。特に利益が絡む話である。2つ例を挙げる。1つめは例え話である。昔はそこら中に牛が放牧されていて現在よりも牛と共に生活があった。道端で牛の糞がひっくり返されていれば、それは先に誰かが燃料にするためにひっくり返し乾燥させている証だから手をつけない習慣だった。しかし今は関係なく、平気でそれを自分のものにしてしまうようになったという内容だ。2つめは、市場等での買い物の際、売り手が買い手に多くのお釣りを渡してしまった時に、買い手がそのお釣りの多さに気が付いても返さなくなったという内容だ。どちらの例も、人間の心の内面の話なのでマダガスカル人すべてが変わったとは言えないが、先生がこの話をするくらい、昔は他人に対してもっと思いやりがあったことを伝えたかったのであろう。この話を聞きながら安全対策に比較的鈍感な日本人のことを考えてしまった。私を含めて日本人の多くは、自分の場所取りとかでバックなどを席に起きて離れることが多い。日本国内では、その荷物を取られることは稀であるが、何時の日か取られる時代が来て、日本人の心の内が変わったと話す自分がいると想像すると、Ashik先生に同情し寂しさを共感した。

My life at Tana in Madagascar

Judo volunteer of JICA at Antananarivo in Madagascar from Oct 2015 2015年10月からJICAボランティア員としての柔道活動とアンタナナリボ生活の記録

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